ロナウジーニョ ロナウジーニョとは?

ロナウジーニョとは?
ロナウジーニョ・ガウーショ(Ronaldinho Gaúcho, 本名 ロナウド・ジ・アシス・モレイラ:Ronaldo de Asiss Moreira, 1980年3月21日 - )はブラジル・ポルト・アレグレ出身のサッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィルダー(主に1.5列目)。2006年現在、スペインのFCバルセロナに所属している。

ロナウジーニョは「小さなロナウド」の意味で、入団当時、代表に既にロナウドがいたのでこの愛称で呼ばれている。また、ガウーショとはカウボーイを意味し、ブラジル国内では南部地域、とりわけリオグランデ・ド・スル州とサンタカタリナ州出身の男性(気質)を強調する際に用いられる語である。ブラジルでは、ロナウドをFenômeno(鬼才、転じて「怪物」)、ロナウジーニョをGaúcho(ガウーショ、ロナウジーニョ・ガウーショ)と呼び区別している。

ロナウジーニョ 

ロナウジーニョ・ガウーショ
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名前
本名 ロナウド・ジ・アシス・モレイラ
愛称 ロニー
カタカナ ロナウジーニョ・ガウーショ
ラテン文字表記 RONALDINHO GAUCHO
基本情報
国籍 ブラジル
誕生日 1980年3月21日
出身地 ポルト・アレグレ
身長 180cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム FCバルセロナ
ポジション FW、MF
背番号 10
利き足 右足
代表歴
キャップ 64
得点/失点 30

ロナウジーニョ 来歴

来歴
現在世界最高の選手の一人。2004年、2005年と連続でFIFA選出の世界最優秀選手に選ばれている。また2005年には欧州最優秀選手(バロンドール)にも選ばれた。試合中随所に見せる美麗なボール捌きは、まさに神業と呼ぶにふさわしい。また、ペレ・ジーコ・リバウドなど、その世代で一番上手く、奇跡を起こせる選手に継承されているセレソン(ブラジル代表)の10番に必要な能力をすべて継承している選手である。その技もさることながら、キャプテンとしてチームをまとめていく器の広さを持ち、人望も厚い。ブラジルA代表デビューは1999年6月26日のラトビア戦。その直後に開催されたコパ・アメリカのメンバーにも選ばれ、対ベネズエラ戦の技ありゴールはブラジル国民に希望を与えた。1999年のFIFAコンフェデレーションズカップと2000年シドニーオリンピック予選で得点王を獲得。2002年の日韓W杯では、ロナウド・リバウドと共に強力な攻撃ユニットを組み(3人のイニシャルから「3R」と呼ばれた)、優勝に大きく貢献した。

2003年にフランスのパリ・サンジェルマンからリバウドの後釜となり得る人材を探していたFCバルセロナに移籍。レアル・マドリードやマンチェスター・ユナイテッドとも交渉を行っていた。セレソンの先輩であるリバウドも背負った10番を身にまとい、ローテーションを取り入れたチームの中でも王様として君臨し、ソシオ(バルセロナを支える熱心なファン)たちに愛されている。彼がチームの攻撃に与える影響は大きく、彼がいる時といない時では周りの選手の動きも違う。ドリブル突破やパスだけでなく決定力もあり、相手チームにとっては非常に怖い存在となっている。ちなみに代理人でもある兄のロベルト・デ・アシス・モレイラ(登録名:アシス)は1999年にJ2のコンサドーレ札幌でプレーしていた。

ペレが選んだ偉大なサッカー選手100人、『FIFA 100』に選ばれた。

ナイキのCMに出演しており、主にその華麗なボール捌きを題材にしている。特に、ボールを一度も落とす事なく4連続でゴールポストに命中させた映像は、実際のプレーなのかSFXなのか論争となった(現在も真偽は不明であるが本人は合成であることを否定している)。また日本の企業・コニカミノルタのオフィス用コピー機のCMモデルとして出演し、その時にはGKを含む11人の選手を1人で全員こなす役柄を演じた

ロナウジーニョ 経歴

経歴
A代表デビュー 1999年6月26日 対ラトビア

獲得タイトル
代表
2002年 FIFAワールドカップ優勝
1999年 コパ・アメリカ優勝
2005年 FIFAコンフェデレーションズカップ優勝
1997年 FIFA U-17ワールドカップ - 優勝  
クラブ
2005-2006 FCバルセロナ UEFAチャンピオンズリーグ - 優勝 
2005-2006 FCバルセロナ リーガ・エスパニョーラ - 優勝 
2004-2005 FCバルセロナ リーガ・エスパニョーラ - 優勝
2005-2006 FCバルセロナ スペイン・スーパーカップ - 優勝
 
個人タイトル
1997年 FIFA U-17ワールドカップ得点王
1999年 FIFAコンフェデレーションズカップ得点王
1999年 FIFAコンフェデレーションズカップMVP
2000年 シドニー五輪南米予選得点王
2004年・2005年 FIFA最優秀選手賞
2005年 FIFPro最優秀選手賞
2005年 バロンドール

所属チーム
1998年 グレミオ(ブラジル) 5試合 0得点
1999年 グレミオ(ブラジル) 19試合 6得点
2000年 グレミオ(ブラジル) 11試合 8得点
2001年 グレミオ(ブラジル) 0試合 0得点
2001年-2002年 パリ・サンジェルマン(フランス) 28試合 9得点
2002年-2003年 パリ・サンジェルマン(フランス) 27試合 8得点
2003年-2004年 バルセロナ(スペイン) 32試合 15得点
2004年-2005年 バルセロナ(スペイン) 35試合 9得点
2005年-2006年 バルセロナ(スペイン) 29試合 17得点

ロナウジーニョ プレイスタイル

プレイスタイル
テクニック、スピードともに超一流ながら、激しいサッカーを旨とするブラジル南部出身の選手に共通のフィジカル面の強さを兼ね備え、運動量も多い。ドリブルでのステップを刻むリズムに於いても、観客や敵・味方の選手を問わずに楽しませる希有の選手。他の一流選手と比較しても、ボールタッチが異常なまでに多い。このことが相手選手がボールを取りに来たのを見てから軽々とかわせる秘訣と思われる。子供の頃はフットサルをしていて、ナイキ社のCMでは子供の頃の彼のフットサルをする映像が使われている。

ドリブル
持ち前のスピードと絶妙なボールタッチのフェイントを使い、相手を一瞬で抜き去る。足首を使った“Elastico(エラシコ)”と呼ばれるフェイントが得意技の一つ。

パス
敵ディフェンスを引き付け、持ち前の多彩なパス(スルーパス、ノールックパス、ヒールパス等)で周りの選手の能力も引き出す。自身にキープ力があるにもかかわらず球離れが早いため、周りの選手の動き出しの早さを引き出せ、敵選手がロナウジーニョだけに集中できない効果を生んでいる。DFにとって、近づけばドリブルで抜かれ、離れれば短いモーションでパスやシュートを放つため、やっかいであり、これが彼自身の能力を底上げしている。さらに味方選手の二列目、三列目の選手の飛び出しも使いこなせるなど視野の広さを持つ。

試合中に味方からのパスを背中で他のFWに落として、周りを驚かせたことも。インタビューでそのプレーについて質問をされた時、本人は狙ってやったと笑顔で答えていた。

シュート
テクニックが確かで、局面に応じてコースをつくシュート、パワー重視のシュートを使い分けるが、中でも右足を振りぬいて巻き込むようにカーブをかけたシュートを好む。膝下だけを振りぬくようなシュートだけにモーションが少なく、DFやGKには非常に嫌なタイプといえる。また、ゴール前のセンタリングに対するポジショニングも的確で、相手との駆け引きも上手く、ダイレクトのシュートも得意である。

チームではPKのキッカーを任されている。

メンタル
大変な負けず嫌いで、遊び(ミニゲームやサッカーのTVゲーム)などでも手を抜かず勝者のメンタリティーも持ち合わせる。日本代表小野伸二曰く、世界一サッカーを楽しんでいる男である。本人もサッカーを楽しむことを忘れないためには笑顔が一番だと述べ、試合中もたびたび笑顔をちらつかせながらプレーしている。

また兄で代理人のロベルト・アシスや、少年時代からの知り合いであるロドリゴ・グラウがJリーグでプレーしたこと、2002年のワールドカップでの活躍の舞台であったことなどが理由なのか、親日家であることを公言している。

ロナウジーニョ リバウドとロナウジーニョ

リバウドとロナウジーニョ
ロナウジーニョにとってロナウドは特別な存在であることは良く知られているが、リバウドへの思いはあまり知られていない。とある雑誌で、FCバルセロナ加入時に「リバウドやロナウドのような僕のアイドルのあとを追う事が出来るのはとても嬉しい」と言っていた。「リバウドの後釜を任されるのはとても光栄だ」と親しい友にもらしたこともあるようだ。

リバウドの退団に伴いバルセロナはその後釜の獲得に急ぎ、最初に10番の後釜として獲得したのがファン・ロマン・リケルメだった。リケルメは現在ではアルゼンチン代表の主軸を担う才能あるプレーヤーであるが、当時の彼はプレーにムラがあり、力不足であった。リバウドはジダンらと並び称されるほどの世界最高のプレーヤーである。その選手が抜けた穴は大きく、チームの成績も下降していった。そんな中バルサが目をつけたのが、当時パリ・サンジェルマンに所属していたロナウジーニョだった。

スペインはフランスと違いポルトガル語が通じる上に生活習慣にも共通点が多く、元々ロナウジーニョはスペインに行きたいという願望があったようだ。FCバルセロナがブラジル代表とFCバルセロナで10番を背負った自分の憧れであるリバウドというプレーヤーの後釜として自分を指名してくれた事が、本人にとって何よりも嬉しかったのである。その証拠として、バルセロナより金銭的に良い条件を出していたマンチェスターからのオファーを蹴ってまでバルサにこだわった。おそらくリバウドは、ロナウジーニョにとって「10番」としての手本であったのかもしれない。

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